【人類学】人間とは何かを考える

文化人類学

最近書店で面白そうな本を見つけ購入した。
タイトルは『恋する文化人類学者 結婚が異文化をつなぐとき』鈴木裕之(2024)。
読み物として面白い上に、大学の文化人類学の教科書として使用することを想定して書かれていることもあってか注釈も充実しており、人類学の概要を知るのにも非常によい。

もともと大学生の頃から文化人類学に興味を持っており、いくつかそれに関する本を読んできたので、今回改めて本棚から人類学の入門書的な本を引っ張り出して、読書メモとしてまとめていきたい。

今日の記事として書きたいのは次の本についてだ。
『はじめての人類学』奥野克巳(2023)

押さえておくべき4人の人類学者

奥野さんが曰く、人類学者として押さえておくべ4人の学者がいる。そのしてその4人が打ち出した「4つの生」があるとのこと。

  1. マリノフスキー「生の全体」
  2. レヴィ=ストロース「生の構造」
  3. ボアズ「生のあり方」
  4. インゴルド「生の流転」

マリノフスキー「生の全体」

①マリノフスキーは、トロブリアント諸島でフィールドワークを行ったイギリスの人類学者。ある文化において、一見よくわからない「非科学的」で「原始的」な文化的行いがあったとしても、それはその文化において何らかの「機能」を担っていると考える「機能主義」を説いた。また、フィールドワーク(参与観察)を行う中で、数値化できない言語化できないその文化の「不可量的部分(インポンテラビーリア)」の重要性を説いた。

彼以前の19世紀の人類学者は二次資料を集めて机上で考察する「安楽椅子の人類学者」であったが、マリノフスキーは実際に現地でフィールドワークを行い、その文化の「生の全体」を捉えるという20世紀の人類学者の王道的手法を確立した。

代表作『西大西洋の遠洋航海者』という民族誌があるが、一方で当時の日記『マリノフスキー日記』も彼の死後に出版されており、マリノフスキーの個人的な心情や現地人に対する負の感情も知ることができる。

レヴィ=ストロース「生の構造」

②レヴィ=ストロースは、ブラジル奥地の旅を『悲しき熱帯夜』という旅行記にまとめ上げ「構造主義」を説いたフランスの人類学者。ブラジル奥地の先住民族の親族体系や神話を調べ上げ、人類の文化に共通する普遍的な「生の構造」があると考えた。

当時20世紀にはダーウィンの進化論に影響を受けたマルクスの唯物史観論、すなわち人間社会は奴隷社会→封建社会→資本主義→社会主義→共産主義と段階的に進化していくというマルクス主義が進展していたが、レヴィ=ストロースはそれとは逆に人間の精神は最初から完成していて、西洋社会にも未開文化にも、文化には普遍的な「構造」が構造があると説き、当時の傲慢な西洋中心主義を批判した。

あらゆる文化に共通する「構造」として、レヴィ=ストロースは婚姻にもとづく女性の「交換」を例に挙げる。同一集団内で婚姻を繰り返してしまってはその集団内で社会は閉じられやがては消滅してしまうので、集団Aと集団Bの間(あるいは3つ以上の複数集団の間)で婚姻に基づく女性の交換が行われる。女性は他集団と交換されるものなので、自集団内での結婚は制限される。それはインセスト・タブー(近親相姦)の考え方として生まれ、また逆に同一集団内で結婚可能な対象同士が結婚した結果それが「交叉いとこ婚」として現れる。

ボアズ「生のあり方」

③ボアズは、ネイティブ・アメリカン研究を進めたアメリカの人類学者。アメリカへの移民とその子孫の頭骨の形を調査し、世代ごとに頭骨が変化していくこと、また民族ごとに多様な頭骨の形が、アメリカへの移住後に世代を経るごとに均一化することを突き止めた。これは人種というものは変わりないものとして優生論を主張するナチス・ドイツに抵抗する言説になった。

また人類学の研究方法は全体的(ホリスティック)であることの重要性を主張し、「総合人類学」の考え方を説いた。それは①自然人類学、②考古学、③社会・文化人類学、④言語人類学の4分野の総合的なアプローチにより文化という「生のあり方(ways of life)」を明らかにするという考え方である。

またボアズの門下のハースコヴィッツは「文化相対主義」、すなわちすべての文化は優劣なく対等であるという、現代社会でも受け入れられている重要な考え方を説いた。

他にもボアズの門下として有名な人類学者として『菊と刀』のベネディクトと、『サモアの思春期』のマーガレット・ミードが挙げられる。

上記でも述べたがボアズの研究は対ナチスへの言説となり、またベネディクトの研究は当時第二次世界大戦でのアメリカの敵国日本の研究として行われた。ミードの研究結果である「男らしさや女らしさは文化によって決まる」というのは、当時のヨーロッパ文化から自由になりたいというアメリカにとって都合が良いものであった。ということからも、当時人類学と政治的イデオロギーは密接に関わっていたことがわかる。

インゴルド「生の流転」

④インゴルドはフィンランドでフィールドワークを行ったイギリスの人類学者。自然科学と人文学の統合を試み、「自然」と「社会」を切り分けるのではなく、人間を「生物社会的存在(biosocial beings)」と捉えて、流動的で動詞的な「生きている(being)」という「生の流転」に目を向けるという考え方をしている。よって、人類学者がフィールドですべきなのは現地の人々「について」語るのではなく、現地の人々「とともに」人間の生について学ぶべきと説いている。

奥野辰巳さんのフィールドワークについて

上記で読書メモをまとめた『はじめての人類学』は、人類学のこれまでの大まかな流れと、重要人物についてまとめられていて、入門書として非常によいと思う。

また同じく奥野さんの『マンガ文化人類学講義 ボルネオの森の民にはなぜ感謝も反省も所有もないのか』(2020)を読んだので、感想をメモしておく。

■マンガという形式について
マンガであるということから本を手に取るハードルが低くなり、気軽に読んでみようという気持ちになれる。また現地プナンの生活の様子が絵で描かれるため、非常にわかりやすい。絵で描かれることにより、プナンの文化や狩猟生活の様子を感じ取ることができ、まさに筆者が試みた「実生活の不可量的部分」(まさに上記で述べたマリノフスキーが重要性を説いていたこと)の表現が成功していると思った。

■仏教の引用について
プナンと仏教は関係ないものの、あえて仏教の「縁起」の考え方を引用することで、プナンの人間関係とプナンの森の生物との関わり方が、日本人読者にとってわかりやすいものになっている。
また人間だけを観察するのではなく、生物との関わりの中で人間を捉えるという、これからの人類学の考え方(まさに上記で述べた、人間を生物社会的存在として捉えるインゴルドの考え方)が実践されており、非常に勉強になった。

■タイトルについて
プナンの文化では、気前の良さ、すなわち他人に気前よく分け与えることが良いこととされている。そういった文化の中では、狩猟の成果をリーダーが中心となって、メンバーに気前よく平等に分け与えることで、平等な社会が実現されている。
タイトルで書かれているように「感謝がない」のは、プナンの文化では「気前よく貸すのも、与えるのも当たり前で、それが良い行いである」から、いちいち感謝しないということ。また「反省がない」のは、たとえ狩猟に失敗したとしても個人を責めるような文化ではないからと理解した。

まったく知らない異文化のことについて興味をもって読み進められる上に、人類学の入門書として勉強にもなり、また異文化を知ることで日本の文化や我々の生活自体を再考察するいい機会にもなる。総じて、「民族誌マンガ」という試みは大成功しているように思えた。

さいごに

これらの本を読んでやはり人類学は面白いなと感じた。
他にも読んだ本、読みたい本があるので、まとめて記事にしていこうと思う。

それでは。

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