USCPAの勉強法のブログかと思いきや唐突にアラブ文学史について書き始める。自分の備忘のために。
もし万が一このテーマに興味があるという珍しき人がいたならば、ざっくりとイメージを掴むのに役に立てば嬉しいが、ただ内容は何年も前の留学中の授業の記憶をベースに書いているので、あてにならないことには注意いただきたい。
なお、当時の留学中の授業は『時代ごとのアラブ文学(الأدب العربي عبر العصور)』という本をもとに、先生が授業を構成されていた。よって詳しく知りたい方はそちらが参考になるだろう。
さて、ここで言うところの文学とは、「詩」を中心に取り扱う。
アラブ世界には小説などの文学作品もあるが、文学のヒエラルキーの頂点には詩が君臨する。またその中でも最高峰と考えられているのはイスラム以前の無明時代の詩である。
イスラム前のアラビア人は、詩的表現の分野で傑出していて、この分野で最高の才能を発揮した。ベドウィーンの詩歌好きは、一つの文学的財産だった。
アラビア語の文学も、他の大部分の文学と同じように、詩歌の創出とともに出現したが、他の多くの言語の場合と違って、詩歌だけが前面的に発達した。(中略)
第六世紀中葉の詩歌を凌駕するものは、その後現れていない。イスラム初期の詩人もその後の詩人ないし、現在の詩人も、古代の作品を、足許にもよりつけぬほどすぐれた模範と考えていたものだし、また今日も考えている。
『アラブの歴史(上)』P.K.ヒッティ著、岩永博訳(1982年) p.196
最高峰の無明時代の詩から始まり、アラブ詩の歴史は、大きく次の6つに区分できる。
1. 無明時代
2. イスラム初期
3. ウマイヤ朝期
4. アッバース朝期
5. アンダルシア地方
6. 近現代
順番にそれぞれの時期の詩の特徴を書いていく。
1. 無明時代
年代:イスラム以前の6世紀ころ
社会の様子:アラビア半島のベドウィンの部族社会。(部族間の戦い、遊牧生活)
戦いが禁止された神聖な月には、毎年ウカーズとう場所に詩人が集まり、作品を披露しあい、いわば詩のコンテストの市が催された。そこで優勝した詩はカアバの壁に金字で掲げられた。(なお、今でもサウジではウカーズ市が開かれており、様々な文化的イベントが催され、観光地にもなっている。また、詩歌コンテストの優勝者には桁違いの賞金が与えられるとか。)
詩歌の題材としては「矜持(ファハル)」「諷刺(ヒジャー)」「賞賛(マダフ)」「知恵(ヒクマ)」「叙景(ワスフ)」「恋愛(ガザル)」などがある。なお、ここでいう恋愛詩は、主に男性が女性について表現するものである。
詩形の一つに長詩(カシーダ)というものがあるが、無明時代の長詩の構成は、次のように遊牧生活の様子に基づいている。
- 居住跡に佇む
遊牧民は砂漠をラクダに乗って転々と移動するが、かつて住んでいた場所の跡地を見て、そこに佇む。 - 大切な人との思い出を振り返る
そして、そこに居住していた時の思い出を振り返る。かつての大切な人に想いを馳せる。 - お酒を飲んで忘れる
過去を思い出して悲しみに暮れた後は、お酒を飲んで忘れる。(イスラム以前なのでお酒は飲む) - 砂漠の景色を描写する
お酒を飲んですべてを忘れたあと、酔いが覚め、まず目の前の景色(砂漠など)についての叙述を行う。 - メインテーマを述べる
ここでやっとメインテーマの題材についての詩歌を詠む - 諺や格言で締める
最後にそのメインテーマの内容を表すことわざを一言詠んで、ビシッと締める
この時代の詩歌は『ムアッラカート』という詩集でまとめられているが、アラビア語世界では詩の最高傑作として称えられている。その詩集にはイムル・アル=カイス、ズハイル、ラビードなどの詩人の詩歌がある。中でもイムル・アル=カイスの長詩の冒頭の一節はとても有名である。
قِفَا نَبْكِ مِنْ ذِكْرَى حَبِيبٍ ومَنْزِلِ بِسِقْطِ اللِّوَى بَيْنَ الدَّخُول فَحَوْمَلِ
ここで少し止まってくれ。かつて想いを寄せた人とその居住跡との思い出に、一緒に涙を流そう。このダフールとハウマリの間の砂漠のこの場所で、、。
なお、Wikipediaの「ムアッラカート」のページの参考文献・関連文献も参考になる。特に、池田(2003)では、上のイムル・アル=カイスの長詩の日本語訳が見れる。大変ありがたい。
この時代の長詩の形式面では、下記の特徴がある。
①韻律(ワズン)は1つ
②脚韻(カーフィヤ)は1つ(1行目の上句末と、各行の下句末は長詩全体を通して同じ脚韻)
また、この時代の詩歌以外の文学としては、散文があるが、その例としては諺、説教、遺言、サジュウなどが挙げられる。
2. イスラム初期
時代:イスラム教が広まり始めたころ
社会:政治的、社会的、宗教的な生活の基盤が形成され始めた。また言語的には、均一的なフスハーが部族社会においても広まった。
詩においては、イスラム教の影響から、①お酒に関するもの、②イスラム教徒同士の諷刺詩(ムスリムから非ムスリムに対する諷刺詩はあった)、③女性に関する具体的な描写の恋愛詩が避けられるようになった。
③に関して、例えば無明時代のイムル・アル=カイスの詩ではエロティシズムな描写があるが、そういった明示的な女性描写(الغزل الحسي)は避けられ、慎ましく女性を描写(الغزل العفيف)するようになった。
詩以外の散文としては、説教(الخطبة)や預言者のハディース(الحديث النبوية)などが挙げられる。
3. ウマイヤ朝期
ウマイヤ朝時代の詩についてP.K.ヒッティは以下のように言う。
ウマイヤ朝時代に、もっとも大幅な知的進歩を成し遂げたのは、疑いもなく詩的作品の分野であった。イスラムの生誕が学芸の神にとって好ましくなかったことは輝かしい征服と拡張の時代に”詩人的民族”中から一人の詩人もでなかったことが証明していた。しかし、世俗主義的ウマイヤ家の即位とともに、酒、歌謡、詩歌の女神との古い絆が再開された。
『アラブの歴史(上)』P.K.ヒッティ著、岩永博訳(1982年) p.481
前述の「1. イスラム初期」の時代はイスラム教の影響により詩的表現は控えめになっていたが、世俗主義的なウマイヤ朝下では詩の作成が活発になる。
このウマイヤ朝期の詩の特徴として主に以下の2つがある。
①政治詩の発達
カリフ制が成立するにともない、政治的な派閥が形成され、また政治的な詩が詠まれるようになった。ウマイヤ朝カリフのもとの宮廷詩人として、アル=ファラズダク(الفرزدق)、ジャリール(جرير)、アル=アフタル(الأخطل)という三大詩人があげられる。彼らは諷刺家であったことからも、この時代には諷刺詩は再度作られるようになっている。
②恋愛詩の発達
ウマイヤの朝下では、下記の対照的な二つの分野の恋愛詩が発展した。
(i)純粋・無垢の恋愛詩(غزل عذري عفيف)
イスラム教的価値観に基づいた純粋・無垢で一途な恋愛詩の代表はジャミール(جميل بثينة)である。
愛人であるブサイナを一途に思い続けて下記の詩を詠んだ。
إذا قلتُ ما بي يا بثينة قاتلي من حب، قالت ثابت، ويزيد
وإن قلتُ ردي بعض عقلي أعش به تولتْ وقالتْ ذاك منك بعيد
「ああ、ブサイナ、愛で死にそうだ」と私が言ったら
「愛は確かで、さらに増していく」と彼女は言う
「私の理性を返してくれ、そうすれば生きていける」と言ったら
彼女は背を向けて「それはあなたから遠い」と言った
(ii)愛欲的な恋愛詩(غزل صريح (حسي))
こちらは無明時代のイムル・アル=カイスなどの詩人の影響を受けている。有名なのはウマル・ビン・アビー=ラビーア(عمر بن أبي ربيعة)である。
ここでは当時の詩人に影響を与えたようなイムル・アル=カイスの詩を引用しておく。
قبلتها تسعاً وتسعين قبلة وواحدة أخرى وكنت على عجل
وعانقتها حتى تقطع عقدها وحتى فصوص الطوق من جيد انفصل
彼女に99回キスをして、最後の1回は少し急いだ
彼女の首飾りがはち切れるほどに彼女を抱きしめ、首飾りの宝石は外れ落ちた
また散文においても、政治詩が発達するにともない、政治的な説教も盛んになった。またカリフ制において、カリフとの書簡のやり取りが行われるようになったことから、書簡文もその一つとして挙げられる。
4. アッバース朝期
【アッバース朝前期】
この時代には、カリフの側近として仕えたりしていたペルシャ人・トルコ人の影響や都市生活の影響が詩歌にも大きく現れる。この時代の詩歌の特徴としては、①豪華な宮殿生活や都市生活の反映、また②お金を稼ぐために権力者をほめる「賞賛」の隆盛、また何より③これまでの伝統的な詩の形式からの離脱、④歌謡の発展、などが特徴としてみられる。
③のこれまでの伝統からの離脱というのは、例えば、酒に関する詩歌の復活、また愛欲的な恋愛詩の流行などがある。また一方でそれとは反対に、禁欲主義者による詩も読まれるようになった。禁欲主義者の詩人として有名なのは、アブー・アル=アターヒヤや、イスラム神秘主義者のラービア・アダウィーヤである。
また、この時代の代表的な詩人としては、飲酒詩のアブー・ヌワースや、英雄詩のアブー・タンマームである。
散文に関しては、これまであった説教・演説は国がある程度まとまったことからも必要性が薄れていったが(?)、その一方で周辺諸国との書簡のやり取りは隆盛した。またそれを契機に書簡文学もこの頃に生れた。また歴史書の編纂、詩歌の収集、ハディースの編纂などが行われた。
【アッバース朝後期】
カリフ・ムタワッキルの死後以降、アッバース朝は衰退と分裂の時期を迎える。この時期の特徴としては、翻訳の発展と、イスラム哲学の発展があげられる。
分裂期にはいくつかの王朝が乱立するが、とはいえそれが文学の発展に悪い影響があったわけではなく、むしろ各王朝が権威を示すために文学的教養を競い合った。
この際の分裂期の王朝は、支配者・権力者がアラブ人ではなくペルシャ人やトルコ人であったことから、詩人が権力者からお金を得るために詩を作る際にも、簡単な単語を使用したわかりやすさが重視され、また意味や規則よりも「音(発音)の美しさ」が重視された。そのような背景の中で、次のような修辞法が多様に用いられた。
(i) サジュウ(السجع)
すべての句の脚韻が同じもの。(例はサアーリビーの詩)
الحقد صدأ القلوب واللجاج سبب الحروب
憎しみは心の錆 頑固さは戦争の種
(ii) ジナース(الجناس)
同音異義語を用いた、掛詞やダジャレのような修辞法。(例はアブー・ヌワースの詩)
عباس عباسٌ إذا احتدم الوغى والفضل فضلٌ والربيع ربيع
アッバース(人名)は戦いが激しくなると勇敢(アッバース)で
ファドル(人名)は美徳(ファドル)で、ラビーウ(人名)は春(ラビーウ)のようだ
(iii) ティバーク(الطباق)
単語レベルでの対句法。
意味的に対句にする方法(例:光⇔闇)と、文法的に対句にする方法(肯定⇔否定)がある。
(例:クルアーン 第57章鉄章 8節)
ليخرجكم من الظلمات إلى النور
彼(アッラー)はあなた方を闇から光へと導くために
(iv) ムカーバラ(المقابلة)
文レベルでの対句法(例:クルアーン 第9章悔悟章 82節)
فليضحكوا قليلا وليبكوا كثيرا
彼ら(偽信者たち)を少し笑わせ、多く泣かせよ
(v) タウリヤ(التورية)
一つの単語にダブル・ミーニングを持たせるものである。
ハーフィズ・イブラーヒームは、アフマド・シャウキーに対してこういった。
يقولون إن الشوق نار ولوعة فما بال شوقي أصبح اليوم باردً
【表面上の意味】
人が言うには、憧憬の思いというのは火のようなものであり、激しい悲しみのようなものであると言う。一方で、私の憧憬の思いは、今日冷たいものになってしまったようだ。
【裏の意味】
「シャウク(憧憬)」は火や激しい悲しみのような熱いものであるものらしいが、今日の「シャウキー(人名)」は熱が冷めてしまったようだ。というアフマド・シャウキーへの批判
それに対して、アフマド・シャウキーはこう答えた。
وأودعت إنساناً وكلباً أمانةً فضيعها الإنسان والكلب حافظ
【表面上の意味】
人間と犬に荷物を預けた。人間はそれを失くしたが、犬はそれを守った。【裏の意味】
「犬はそれを守った」の部分が、「犬はハーフィズ(人名)だ」という意味になり、すなわち犬に例えてハーフィズのことを馬鹿にしている文になる。
以上のように、詩の表現方法として様々な修辞が使われた。
この時期の代表的な詩人にムタナッビー、また散文と韻文を織り交ぜたマカーマの創始者アル=ハマザ―二ーやそれを大成したアル=ハリーリーがある。またこの時期には、古代から当時までの詩歌を編纂したアブー・アル=ファラジュ・アル=イスファハーニーの『歌の書』や、散文では『けちんぼの書』のジャーヒズがあげられる。
5. アンダルシア地方
ウマイヤ朝期にイスラム軍は北アフリカからスペインまで勢力を延ばし、スペイン地方をアル=アンダルスと呼んだ。西洋文化やアンダルス地方の美しい自然が詩にも影響を与え、変化を及ぼした。
この地方の詩についてP.K.ヒッティはこのようにいう。
ある程度まで因習のくびきから解放されたスペイン=アラブ人の詩は、新しい韻律形式を開発し、自然美に対するほとんど近代的とも言える感受性を漲らせていた。それはバラードや恋歌の形で、中世騎士道の先駆ともいえるやさしいロマンティックな感情を表現していた。
十一世紀初頭までには、ムワッシャフ(押韻反復句の舞踏詩)やザジャル(高音)と呼ばれる叙情詩の形式がアンダルシア人の中で発達していた。どちらの形式もコーラスのリフレーンを念頭においたもので、歌われたものであることは疑いない。どこでも、音楽と歌曲が詩と切り離しがたく結びついていた。『アラブの歴史(下)』P.K.ヒッティ著、岩永博訳(1982年)p.421
アンダルシア地方の詩歌の特徴には以下のようなものがある。
①長詩において、「一つの韻律、一つの脚韻」というルールを離れ、新しい形式を生み出した。その中にムワッシャフとザジャルがある。ムワッシャフは曲に合わせて歌う歌謡詩であり、ザジャルは土着の方言をもちいた口語詩であり、曲に合わせて即興で詠まれたりした。(また口語であるため使われている単語は簡単ではあるが、意味するところは深いというイメージがあるようだ)
ムワッシャフの形式が、それが如何にこれまでの長詩の形式と異なるかを示すために、イブン・ズフルの詩を一つ例として記載しておく。脚韻にどのような法則があるかに注目。
أَيُّها الساقي إِلَيكَ المُشتَكى قَد دَعَوناكَ وَإِن لَم تَسمَع
وَنَديمٌ هِمتُ في غُرَّتِه
وَشَرِبتُ الراحَ مِن راحَتِه
كُلَّما اِستَيقَظَ مِن سَكرَتِه
جَذَبَ الزِقَّ إِلَيهِ وَاِتَّكا وَسَقاني أَربَعاً في أَربَع
②美しい自然に囲まれたアンダルシア地方では、自然に関する詩が多く詠まれた。
有名な詩人としてイブン・ザイドゥーンがあげられるが、彼は書簡文でも有名である。また、書簡文学についてはイブン・シュハイダも有名で架空の国への旅行記を書いた。
6. 近現代
近現代の詩については、また別でまとめることとする。
おわりに
数年前の留学中のノートやプリントを見て内容を思い出しながら、また『アラブの歴史』を読みながら参考としつつこの記事を書いたが、裏どりができていない箇所も多くあり、もっと調べるべきところはたくさんある。記述としてかなり雑な部分もあるのだが、忘れてしまう前に覚えている限りで一旦書きとどめておいて、このざっくりとしたイメージをベースに、知識の部分は今後のインプットで修正していき、再度改めてアウトプットする機会があればと思う。
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